「さよならの朝に約束の花をかざろう」を観てきました


やや季節外れの雪が降りしきる中で、おもむろに外出してしまい、多くの人でごった返す中、タイトルにあるアニメ作品を観てきました。自発的にというわけではないものの、(上から目線みたいな言い方で恐縮ですが)通常料金である1800円に見合うだけの作品だった気がしました。

伝説のドラゴンが存在し、寿命数百年という「別れの一族」が存在する、いわゆる異世界ものに分けられ、空軍などが存在せずに、大砲を扱って戦争を行うというありがちな時代背景をベースにされています。ただ、あくまでも戦争は話の副菜的なものであり、メインとなるのは「ひとりぼっちの人」でした。昨年から声優をお仕事とされている石見舞菜香さんが声を吹き込むマキア、声優歴約20年ながらも少年らしい声で若者役を自由に操る入野自由さん演じるエリアル。状況こそ違えぞ、お互いにひとりぼっちであるところから関係がスタートしていきます。

孤独がテーマというと、後半からやや超展開になっていくある海外ドラマを思い返してしまいます。が、こちらは当初から1人ぼっちの哲学みたいなものを徐々に問いかけていくような作品です。それは子供の成長であったり、人間関係の変化、自らの生い立ちが原因となる強制的な別れなども含まれています。学校を卒業すれば毎日顔を合わせていた人たちとも会うことは無くなり、社会人になると結婚などを境に疎遠になる友達や同僚などもちらほら出てきますが、それをさらにヘビーに描いた部分が散見されているような気がしました。ただ、劇中後半にはその別れから喜びの出会いにつながるものもあり、一言で別れと言っても、苦しくない別れがどのようなものかを、改めて思い返すことが出来ます。

先日も一部で話題になっていましたが、1人であることは心身に多大な悪影響を与えるとされています。ですが、ただ単に人と一緒にいれば孤独ではない、なんて簡単に区別できないということは、さよ朝でも描かれています。「2人でいるのに1人」という状況は、いわゆる冷え切った夫婦関係などを代表として、様々な場所で見受けられる気がします。また、親しい友達がほかのだれかと親しげにしている時などに訪れる、一種の嫉妬心みたいなものも混ざりこんでいるのかもしれません。ゆえに、本当の意味で孤独でないという世界は、どれだけお金を持っていても生み出すことが出来ず、人間として生まれてきた以上は一定量の我慢をしなければいけない現象です。だからこそあのシーンで、マキアはあるものに対する執着心があったのではないかと推測しています。「別れの一族」を人間と呼んでいいかはやや疑問ですが、人間が孤独になるとどのようになるか、別れの一族の人たちがそれぞれ体現していて、孤独に対する苦しみ方、悩み方がどれほどあるかを嫌でも思い知らされます。

全体的になめらかなでありつつもスピード感のあるストーリーではありましたが、どうしても腑に落ちなかったのは「強いからお母さんは泣かない」「どんな気持ちでお前を育てたかわかるか」といったニュアンスの台詞です。これは一種の忖度かもしれませんが、子供に対する親の気持ち、親に対する子供の気持ちは千差万別であり、このテーマが激化することで2分の1成人式といったイベントが誕生し、新たな火種が生まれている気がしています。親を殺したいほど憎んでいる人にも、親子相思相愛の人にも出会ったことがあるからこそ、このあたりはぼかしていただけると、より感情移入できるような気がしました。正直言うともう1カ所だけ疑問に思ってしまったところがありますが、これを言ってしまうとネタバレになってしまうので、当面は心の中に秘めておこうと思います。

KICK THE CAN CREWのスーパーオリジナルという曲では、KREVAさんの「人は最後必ず1人になる」という一節があります。多分そこまで深く考えて作られた歌詞ではないかもしれませんが、この十数文字は人間の心理をついていると思うことが、葬式に出たりするとしばしば感じることがあります。このフレーズはネガティブな意味でとらえていますが、この作品は別れという苦しみをポジティブに変換するヒントもちりばめられていました。

映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』公式サイト