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ディーゼルエンジンには耐性があるのに、スギ花粉に負ける体質

実は、2月末に映画を2本見てきたので、そのレビューを2回目・3回目のブログ更新用のネタに取っておいたのですが、花粉の猛威によって本体のブログ共に更新がストップした状態になっていました。とはいえ、その間も出かけたいと思った所には足を運んだり、facebookで前職の上司に「いいね!」をクリックする等の行動は起こしていたので、「更新できない」は言い訳にしかなっていませんが…。

思い起こせば、花粉症の症状は小学生の頃からあったように記憶しています。ハウスダストの影響もあったかもしれませんが、自宅にいる時にやたら目をかいて、時には焦点が合わなくなってしまうほど、重症になってしまうこともありました。また、春先には大量の鼻水に苦しめられたせいで、漢字の記憶以上に辛い思いをした記憶もあります。とはいえ、はっきりと自身が花粉症である事を自覚したのは、前年の10倍から30倍の花粉が飛散するといわれた2005年の事です。まだ当時は学生で、遊ぶお金ほしさにアルバイトをしていたことがあったのですが、小雨に降られながらアルバイト先に到着し、着ていたパーカーを脱ぐと、表面にびっしりと花粉とおぼしき物が付着していたことを鮮明に記憶しています。アルバイト先は西新宿から少し離れた所で、都庁が薄く濁って見えていましたが、これも花粉だったのかもしれません。

今年の花粉も、マスクさえしていればきっと大丈夫だろうと言う思い込みによって見事苦しむことになり、3月中旬には鼻水に脳を圧迫されてしまっているのではないかと思ってしまうほどでした。酷い時には何もやる気が起きないせいで、仕事すら休む連絡をしようかと考えてしまう日もありました。さすがにこれではいけないと思い、浴室でおそらく500mlペットボトルいっぱいに詰め込めるほど多量の鼻水を放出し(表現が汚くてすみません)、アイランド耳鼻咽喉科へ行きました。が、その日は朝早くに行ったにもかかわらず1時間待ち。どうにか鼻水が垂れないように頑張りながら先生を待ちました。

いい年をしておきながら情けない話ですが、冷や汗を流し、体を震えさせながら採血をしてもらい、様々なアレルギー情報をお話した後、「1週間後に来てください」とのお話をいただき、現在11日が経過しています。お薬をいただいたおかげで大分楽になっているのですが、これは小さい頃からの悪い癖の一つである「喉元過ぎれば熱さを忘れる」を発症してしまったのだと思われます…。

そういえばタイトルの話ですが、小学生時代の頃は父親が運転していたディーゼル車が出す排ガスを吸うのが、とても好きだった時期がありました。今となっては鬱陶しい煙でしかありませんが、当時は何か底知れぬ魅力を感じていたのではないでしょうか。通常の薬では熱が下がらず、より強力な薬を服用する事になったりと、どうも自分は、科学の力には耐性があるのに、自然には勝てない体のようです。